中学の頃の話。
入学式から脳貧血を起こして保健室行きになって幸先の悪いスタートに……。
そのせいか、あまりクラスに馴染めず(良くしてくれた友達はいるけど)休みがちに。
学校に行っては何かにつけて調子が悪いと言って仮病を使って保健室に行くようになって余計に教室の居心地が悪くなった。
しかも、校長先生直々のお説教を喰らったものだから余計に嫌になった。
でも、まあ、少ししたら学校にも慣れて行くようにはなったけど……、でも、嫌だったな学校に行くの。
親は「学校に行け!」の一点張りで私の様子の変化には気付いてはくれずじまいで……(まあ、母親が死んで大変な時期だったから仕方ないか……)
体育祭とかの準備で先輩達と一緒に作業するときは何か嫌で嫌でたまらなかった。
隅の方で縮こまってた。
それから、何か知れないけど、購買委員会だったかな?の委員長に立候補。
今思えば何故?と不思議でしょうがないが何故か立候補してしまった。
勿論、私を知る上級生はいないので「あの子、誰?」ということで落ちましたが……(当たり前か……)。
(その次の日からおたふく風邪で休みました。ショックを受けたわけではないです(笑))
それでも何とか、学校に行って1年生の時期が終わり、2年生へ。
何故か分からないけど、2年生の記憶が修学旅行くらいの記憶しか残ってない……ので省略。
修学旅行は楽しかった。
私が率先して道案内をしたりしました(だって、みんな、「わからん、わからん」ばっかり言ってるんだもん)。
2年生の時は、多分、学校には行けてたと思う。
問題は3年生の時かな。
また学校を休みがちになって……、このままだと、「学校を卒業できない」とまで先生に言われてしまった。
英語の授業は高校で習うようなレベルのことを教える先生に当たってしまったので嫌で嫌でしょうがなかった。
だって、高校に入った後にロークラスだったけど英語の授業で中学で習ったことを教えてもらってたんだもん。
中学の時の英語のテストの点数は良くて30点ほど、高校の時は70点ほど取ってましたから。
いかに中学で難しい事を勉強させられていたかがお分かりになるでしょう。
体育も嫌だった。
運動音痴だったから。
特に球技が苦手だった(これでも、足は速いほうだったんですよ。大会とかには出たことはなかったけど。)。
何故か知らないけど、体育の時間はバレーボールが多かった。
サッカーの時もあった。
サッカーの時はボールから上手いこと逃げてればいいけど、バレーボールはそうはいかない。
しかも、失敗するとグダグダ言う奴といっつも一緒のチームになった(腐れ縁?)。
でも、私の方にきたボールはカバーしてくれる良い人もいた。
でも、嫌だった、嫌なものは嫌だった。
それから、校内駅伝大会があったけど、3年間、何かと理由を付けて出場しなかった。
うちのクラスは男子が少なかったので補欠は1人だけとかということがあったけど何とかその補欠になりました(笑)。
なので、英語と体育とその他嫌なことがあるときは、仮病を使って保健室に行くか、風邪だからとか何とかといって病院に行ってその時間をやり過ごすか、学校を休むかしてました。
そういうことをしていたら、またもや、校長先生直々のお説教を喰らってしまって……。
その校長先生は私が通っていた小学校の校長先生もやっていたので私のことを知っているのです。
正直、ムカつきました。
呪い殺してやりたいとも思いました(ホントの話です)。
予餞会で、一応、部活の部長(男が私一人だったもので、因みに音楽部です)だったので、スピーチすることになっていましたが、嫌だったので休みました。
その後、私の代わりをしてくれた人から怒られましたが……。
それでも、何とか、中学校は卒業することが出来ました。
今思えば、その頃からうつではないにしろ何かの病気にはなっていたんでしょうね。
親や先生が気付いてくれていればと考えたりしますが、後の祭りですね。
今は「登校拒否」でも「不登校」でもみんな知っている言葉になりましたが、その頃はありませんでした。
過去を振り返っても仕方のないことですが、今日は中学の時のことを思い出しながらこの記事を書いてみました。